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幻の「総武開発線」「中央開発線」… 国鉄の「開発線構想」とは何だったのか?

鉄道
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かつて、国鉄には「総武開発線」、「中央開発線」など、「開発線構想」と呼ばれる路線計画がありました。

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開発線構想とはなんだったのか

まずは1965年に策定された「通勤五方面作戦」を見ていきましょう。これは、逼迫する通勤需要に対する輸送力増強を目的としたもので、五方面とは、東京都心への輸送を担っている①東海道線・横須賀線、②中央線、③東北線・高崎線、④常磐線、⑤総武線を指します。これらの路線を複々線化などの大規模な設備投資で輸送力を増強することとしました。東京駅を中心に半径30km圏内が対象となりました。

東海道線・横須賀線は、それまで線路を共用していたものを分離させます。品川~東京間に地下新線を設け、品川からは東海道線の貨物線(品鶴線など)を通ることになりました。これらは武蔵野線や羽沢線を建設してそちらに貨物を移したことで実現します。

中央線は、既に建設されていた御茶ノ水~中野間の複々線を延長し、立川まで建設する計画でしたが、三鷹までが実現しました。

東北線は、旅客線と貨物線の複々線で、京浜東北線と中長距離列車は線路を共用していましたが、さらにもう一つ複線を建設することで、京浜東北線(電車線)と東北線・高崎線列車(列車線)を分離しました。

常磐線は、綾瀬~取手間を複々線化し、営団が建設した千代田線に乗り入れることで、北千住~取手間の複々線化を実現しました。

総武線は、錦糸町~千葉間で複々線化し、錦糸町から東京まで地下線を新設して、横須賀線と相互乗り入れすることになりました。また、西船橋で営団東西線と乗り入れて、乗客を東西線方面に流すことになりました。

これらは、限界を超えた需要に対し、追従する形で行われた施策でしたが、その後、ニュータウンの造成と時を同じくして、開発先行型の路線計画がもたれました。「新五方面作戦」、「開発線構想」と呼ばれます。

「東海道開発線」、「中央開発線」、「東北開発線」、「高崎(上毛)開発線」「常磐開発線」、「総武開発線」の6つが計画されました。これらは、需要が顕在化していたり、これから需要が見込まれる未開発地を多く含む地域に、高速の鉄道を整備して、まちづくりと一体的に開発するという構想です。都心から概ね50〜60km圏内にある各方面の既存駅から、新たなルートによる新線を整備するというものです。これにより、さらに深刻化していた、既存の路線の混雑の緩和も見込まれます。また、五方面作戦が東京都心へのアクセスの改善であったのに対し、こちらは新宿・池袋などの副都心方面への直通を目的に策定されました。

東海道開発線は、新宿から渋谷、目黒を経由して、新線で東急線方面に進み、横浜の港北ニュータウンから大船、茅ヶ崎に抜ける路線で、新宿で東北開発線と直通運転します。

東北開発線は、新宿から池袋を経て、新線で王子、東武野田線の岩槻と進み、東北線の白岡まで向かう路線で、新宿で東海道開発線と直通運転します。

高崎開発線は、新宿から池袋、赤羽を経て、新線で大宮に向かい、高崎線の宮原、両毛線の伊勢崎に向かう路線です。

常磐開発線は、大崎から田端まで山手貨物線を通り、そこから新線で野田、守谷、筑波、土浦、水戸まで向かう路線です。

中央開発線は、三鷹~立川間を複々線化し、三鷹から新線で中央線の南側を進み、新宿、赤坂見附、新橋に向かう路線で、新橋で総武開発線と直通運転します。

総武開発線は、蘇我から貨物線として建設される京葉線の隣に建設し、海浜ニュータウン、新木場、有明、晴海、新橋まで向かう路線で、新橋で中央開発線と直通運転します。蘇我~新木場間は京葉線と合わせて複々線を形成します。

これらは後年、形を変えて実現していきます。

高崎開発線の形としては、東北新幹線の建設と同時に「通勤新線」が大宮~赤羽間で建設され、赤羽線と接続して「埼京線」として開業しました。高崎開発線は宮原に向かう計画でしたが、埼京線も本来は宮原までの計画でした。宮原までの用地確保も完了していました。ただ、車両基地の必要性から一時的に川越線へ直通運転することになります。後に宮原延伸は断念され、川越線直通が固定化しました。

通勤新線(正確には東北本線支線)、赤羽線、山手貨物線、川越線、東京臨海高速鉄道りんかい線という複数の路線を走る埼京線。
大宮~宮原間では高崎線の脇に複線分の用地が見られる。車両基地は、武蔵浦和周辺や宮原に計画されたが叶わず、やむなく川越線南古谷につくられた。

東北開発線は王子から東北本線の東側に大きく離れて白岡を目指すものでしたが、似たようなルートで、東京7号線(南北線)の延伸として、川口市中央部から浦和市東部間が答申され、浦和美園まで埼玉高速鉄道が開業しています。埼玉高速鉄道には、東北線蓮田までの延伸計画があります。

また、副都心を介しての東北開発線と東海道開発線の直通運転の構想としては、貨物線を活用した湘南新宿ラインが設定されました。

常磐開発線の構想はその後、茨城県による「第二常磐線」構想に受け継がれます。様々なルートが検討された後、都心から北千住、柏市北部、守谷を経て、筑波研究学園都市へ至るルートが策定され、つくばエクスプレスとして開業しています。また、土浦への延伸計画があります。

東海道開発線の思想は後に大きく形を変えて、「神奈川東部方面線」、つまり、相鉄・JR・東急直通線に受け継がれたと言えるほか、山手貨物線、東海道貨物線を利用しての湘南新宿ラインが開業しています。ただ、港北ニュータウンへの新線は叶いませんでした。

総武開発線は、結局京葉貨物線が旅客化されることになり、有明、新橋方面ではなく、新木場から東京駅に向かう路線として開業します。成田新幹線の計画がとん挫し、その用地が活用できたため、東京駅へ乗り入れることができました。

総武開発線が通過するはずだった晴海、有明エリアには、東京臨海高速鉄道運行の臨海地下鉄(都心部・臨海地域地下鉄)の構想があります。臨海地下鉄はつくばエクスプレスに直通する構想があり、実現すれば、常磐開発線の当初の起点の大崎から、有明に変わったとみることもできそうです。

唯一どのような形でも実現していないのが中央開発線です。京葉線に接続する新線はもちろん、三鷹~立川間の複々線化もめどが立っていません。2000年の運輸政策審議会答申第18号では、

(a)JR京葉線の中央線方面延伸及び

(b)総武線・京葉線接続新線(仮称)の新設及び

(c)中央線の複々線化

として引き続き答申されています。京葉線が東京駅発着になり、その延伸として中央線に接続するという構想です。

複々線区間は三鷹以西は伸びそうにない。

(b)の接続新線は新木場から市川塩浜付近までを複々線化し、市川塩浜付近から津田沼まで新線を建設、津田沼から総武線に乗り入れる計画で、こちらも総武開発線の思想を受け継いでいます。2016年の交通政策審議会答申第198号でも「地域の成長に応じた鉄道ネットワークの充実に資するプロジェクト」として引き続き答申されるなど、その必要性は変わっていません。

なぜ「中央開発線」「総武開発線」の起点は新橋だったのか

それでは中央開発線、総武開発線の起点はなぜ新橋だったのでしょうか。これは当時、のちにリニア中央新幹線となる「第二東海道新幹線計画」の起点が新橋で、国鉄は新橋を東京の主要なターミナルの一つとする構想だったようです。

当時、新橋の東側には広大な汐留貨物駅が広がっていましたが、貨物の取り扱いを効率化し、その敷地の一部をターミナルとするつもりでした。

日本の鉄道黎明期の新橋のターミナルの再来です。

実現していれば特急「わかしお」や「さざなみ」は新橋、あるいは中央開発線の新宿発となっていたでしょう。

房総特急はもともと両国発か、中央線を介しての新宿発だった。京葉線開通後もしばらくは総武線経由だった。

中央開発線は三鷹から中央線の南側に進み、中央線と井の頭線、京王線との間を通って新宿駅に入り、赤坂見附を経由して直線的に新橋に向かう計画だったようです。

旅客化されることになった京葉線は、その後、成田新幹線の用地が空いたため、東京駅へ乗り入れることになりましたが、成田新幹線自体も新宿に延伸する計画があったようです。

そもそも京葉線ホームが東京駅の駅舎に接着させるのではなく、鍛冶橋で東海道線と交差する形になっているのは、成田新幹線の新宿方面への延伸を見越してのことだったようで、より直線的に新宿に至るためにこの位置になったとか。

新宿では、上越新幹線が当時は新宿発着の計画だったため、接続して直通運転する構想もあったようです。

直接的には幻に終わった「開発線構想」ですが、その思想はより可能な形に変えていまに生き続けています。時期が違えばあり得ていたかもしれない、ロマンある大胆な路線計画でした。

画像引用

・©Google「Googleマップ」

参考文献

髙松良晴『東京の鉄道ネットワークはこうして作られた』交通新聞社新書

一般社団法人建設コンサルタンツ協会「五方面作戦~今日の首都圏都市鉄道の基盤を築いた国鉄による空前絶後の通勤鉄道改善プロジェクト~」

(https://www.jcca.or.jp/infra70n/files/PJNO_06.pdf)

国土交通省「東京圏における高速鉄道を中心とする交通網の整備に関する基本計画について(抄)」

(https://www.mlit.go.jp/tetudo/toshitetu/pdf/03_11_03.pdf)

乗りものニュース「“TX級”高速新線があちこちに? 国鉄が何度も挑戦した「開発線」構想とは 「通勤新幹線」のなれの果て」

(https://trafficnews.jp/post/125974)

乗りものニュース「地下鉄有楽町線と直通する”第二総武線”のはずだった? JR京葉線が”東京駅発着”に至る歴史」

(https://trafficnews.jp/post/123894)

ダイヤモンドオンライン「【つくばエクスプレス開業20年】バブル崩壊、JRは拒否…それでも実現した「通勤新幹線」の舞台裏」

(https://diamond.jp/articles/-/371535?)

鉄道計画データベース「総武線・京葉線接続新線」

(https://railproject.tabiris.com/sobu-keiyo.html)

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