国分寺から小金井や調布、世田谷などを経て多摩川に至る「野川」は、都内では珍しい、湧水に恵まれた美しい川です。


その源流は、国分寺市東恋ヶ窪の日立製作所中央研究所敷地内の湧水ですが、国分寺崖線と呼ばれる武蔵野台地の縁に沿って流れているため、その全域にわたって台地の帯水層(武蔵野礫層)から流れ出る湧水が数多くあります。



高度経済成長期には汚染が深刻化しましたが、その後、地域の努力によって美しい流れが戻りました。

武蔵野線は、通勤客が激増した高度経済成長期に東京外環状線として計画されます。貨物列車を郊外に移し、都心の貨物線を旅客用に転用することで、需要にこたえる動きです。

地獄の混雑を見せていた中央線も、貨物列車を武蔵野線に流すことになります。西国分寺駅付近は高架線で建設されますが、中央線への短絡線は、地下線になりました。現在、「むさしの号」や臨時の特急列車が走る単線の線路です。
この短絡線は、新小平駅を出ると分岐し、カーブを描いて、国立駅の手前で中央線に合流します。この短絡線のトンネルは国分寺トンネルと呼ばれます。


中央線は西国分寺付近で掘割となるため、短絡線はそのさらに下を通る必要があり、かなり深い位置に建設されました。


そのため、前述の帯水層である武蔵野礫層を分断することになりました。

野川に向かってゆるやかに染み出していた地下水はトンネルにブロックされて滞留し、恋ヶ窪地域で地表に噴出したり、トンネル内に漏水したりしました。


そこで国鉄は、水抜き用の横井戸を作って水を集め、下水道に流すことになりました。ただ、排水となれば下水道法によりどんなに水質が良い水でも処理費用が掛かります。年間数億円にものぼったようです。


同じころ、宅地開発が進んで地表がコンクリートで覆われたことにより、地下水が減って、特に冬場には、野川の水量が著しく減少するということが起こりはじめました。


野川の源流付近には「姿見の池」という歴史ある池がありましたが、渇水により埋め立てられてしまいます。

国分寺は古代の官道、東山道武蔵路(とうさんどうむさしみち)が通り、鎌倉時代には、鎌倉街道上道(かみつみち)が通るなど、古くから交通の要衝でした。ここ恋ヶ窪地域には鎌倉街道の宿場があり、「姿見の池」は宿場の遊女たちが自らの姿を映していたとの言い伝えがあります。「恋ヶ窪」の地名も鎌倉時代の武将、畠山重忠と遊女との恋に由来するとされているそうです。

国分寺市は、そんな「姿見の池」を復活させることにしますが、水の確保に苦戦します。そこで、国立支線で発生していた地下湧水を下水に流さず、姿見の池に流すようJR東日本に働きかけます。民営化で合理化が求められていたJRは、巨額の処理費用が浮くということで合意し、汲み上げるポンプや導水路をJRの負担で整備しました。

国立支線の通る地上には、「集水」のマンホールが多数見られます。これは浅い層の地下水(浅層地下水)を集める排水設備もあるということだと思われます。

支線と本線が合流するあたりには、ポンプで水を汲み上げる立坑「西恋ヶ窪立坑」があります。

隣には貯水用のタンクと思われる設備が見られます。

ここから先は、「湧水」と書かれたマンホールが続いていきます。この直下に導水路があるということです。


導水路はこのように、恋ヶ窪村分水の流路と合流し、姿見の池に至ります。


「湧水」マンホールを追っていきましょう。

導水路はまず、府中街道を横断します。

そして、熊野神社通りの整備中の区間を進みます。

こうして「湧水」のマンホールが頻繫に見られるので辿るのは容易です。

この先で、かつての恋ヶ窪村分水の水路と合流します。

恋ヶ窪村分水は玉川上水の分水で、一部はこのように再現されています。

導水路(分水跡)は、武州交通の車庫と霊園の間の通りに進んでいきます。

野川の起点を含むこのあたりは、国分寺崖線の入り組んだ谷間にあたり、歩いていると現れる急な坂道に崖線を感じられます。

やがて導水路は開渠となって現れます。


この地点です。

ここ「国分寺姿見の池緑地保全区域」では、都市部でありながらかつての武蔵野の雑木林が保存されています。

その先に、再生された「姿見の池」が広がります。

水の枯れたかつては資材置場になっていたとか。いまでは鳥たちが憩う豊かな水を湛えています。この水が、国立支線が堰き止めた地下水を引っ張ってきたものです。姿見の池で一度溜められた水の一部は、再び地下に浸透していきます。

野川への水路も辿ってみましょう。再び暗渠となり2つの経路で住宅街を進んでいきます。

一部はこうして開渠となっています。

やがて道路の下で水路はひとつになり、その上には再び「湧水」のマンホールが見られます。

頭上を西武国分寺線が走り抜けていきました。

水路はこの先、日立製作所の敷地内に入り、野川の流れとなります。

国分寺のまちは崖線がだいたいこのように入り組んでおり、製作所内にも崖線が走ります。

中央線はほぼ直線的に走っていますが、国分寺駅から西国分寺駅の間のこの区間は崖線下に当たるため、大きく盛り土して高低差を解消しています。先ほど真上を通過した西武国分寺線も同様です。

この先の日立製作所の敷地内に野川の源流がある旨の案内板がありました。敷地内には武蔵野のありのままの自然が残され、約120種の樹木が生い茂っているそうです。


では最後に、一般にアクセス可能な野川の源流点を見にいきましょう。

線路の南側に出て住宅街を進むと、研究所から川が線路をくぐって現れているのが確認できます。


野川はここから多くの湧水と合流し、美しい流れとなって人々の憩いの場を創出しています。






こうして、お金をかけて下水処理するしかなかった武蔵野の美しい地下水が、環境用水として、池の再生と野川の流量確保に役立ち、地域の自然環境を未来に繋いでいます。
ぜひ散策してみてください。



