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【国立駅の廃線跡】鉄道総合技術研究所引込線跡を見る

廃線跡
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かつて、JR中央線の国立駅から北側にある鉄道総合技術研究所に向けて引き込み線が伸びていました。鉄道総合技術研究所引込線と呼ばれます。中央線の高架化とともに線路はなくなり、廃線跡は一部遊歩道として活用されています。

鉄道総合技術研究所引込線 概略図

鉄道総合技術研究所とは、鉄道技術の研究・開発を行う公益財団法人で、JRグループの一つです。JRグループの鉄道事業各社が負担金を支出しています。

かつては中央線と接続していた引き込み線が施設内で環状に敷かれていましたが、現在では一部を残すのみです。早速国立駅から歩いてみましょう。

国立駅北口にやってきました。国立駅は2009年に高架化され、高架下はJRの商業施設になっています。

鉄道総合技術研究所引込線は駅の北側から西に向かって伸びていました。高架化後に整備された駅ナカ施設「nonowa国立WEST」沿いに進んでいきます。

国立について教えてくれる看板に、鉄道技術研究所についてのことが書かれていました。現在その一帯は「光町」という地名ですが、それは新幹線「ひかり号」からとられたそうです。

商業施設を過ぎると、引き込み線は北に向けてカーブしていました。かつては自転車置き場として使われていたそうですが、現在では「ポッポみち」という遊歩道として綺麗に整備されています。

ぽっぽみちの入り口にきました。電線が廃線跡に沿って建てられているのをみると、鉄道用のがそのままつかわれているのかもしれません。

ぽっぽみちの入り口には、かつて線路があったことを後世に伝える線路のオブジェが。これはもともとあったものではなく、新たに設置されたものです。こうして鉄道のあった面影を見るのは嬉しいですね。

線路越しに高架線を走る中央線の列車を眺めます。

かつてここに線路があったことを伝える案内板が設置されていました。国立の鉄道の歴史を伝えていこうという国立市の気概を感じます。

ぽっぽみちはところどころこうして路面に線路をイメージさせるデザインが施されています。

両脇には植木も植えられ、散歩するにもいい感じ。

植え込みの仕切りに使われている木材はかつての枕木でしょうか。

また、鉄道用地との境界を示す柵も一部残っており、当時のもののようでした。

遊歩道を進んでいくと、道を挟んでマンションに出ます。

このマンション「ドゥエリング国立」の構造をよく見てください。廃線跡を囲うように階段が設置されています。マンション建設当時は現役の引き込み線が通っており、跨ぐようにして階段を設置した名残です。

なかなか見ない構造で面白いですね。

この「ドゥエリング国立」はJRに関係のあるマンションのようです。マンションの周りに「工」の字の境界杭があります。鉄道用地であることを示すものです。

マンションを迂回して北大通りに出ると、鉄道総合技術研究所の敷地が見えてきます。ここからは実際の線路を望むことができます。

道もよく見てみると、アスファルトの色が線路の形に添って違うことがわかります。線路をはがした時に新たに敷いたからです。

柵から少しだけ中を見せてもらいましょう。構内線が見えます。

構内をぐるっと回って鉄道総合技術研究所の正門側に向かいましょう。このあたりから国分寺市に入ります。地名は前述の通り、光町。

鉄道総合技術研究所のすぐ西側には「ドエリング国分寺」というマンションもあります。ここは明確に鉄道総研の土地であることが立て札によって示されています。鉄道総研の敷地にマンションを建てる際に「dwelling」という名前を付け、それぞれ立地する自治体によって国立、国分寺と名付けたのですね。

敷地外から柵の向こうを見ると、電線が張られているのが見えます。

奥には試験車両が。よく見ると側面に「Railway Technical Research Institute」と書かれています。

敷地内には様々な実験設備や車両があるのでしょうが、一般の人にはうかがい知れません。

ぐるっと一周して正門前にきました。国鉄時代の駅のような建築で立派です。

正門前には新幹線の試験車両が展示されています。入場無料で誰でも入ることができます。

試験車両は新幹線0系のもととなった951形という貴重な車両で、内部は資料館となっています。一見すると新幹線0系のようですが、よく見ると形状が異なるのがわかります。

案内板によると、国分寺市の持ち物として展示しているそうです。

内部も見学させてもらいました。試験車両として使われていたころの設備はなく、新幹線を全般的に解説する構成になっていました。ただ、運転台にも上ることができ、それは951形の実際のものです。

正門前には「ひかりプラザ」という建物があります。中のカフェの名前が「こだま」というのも面白いですね。館内には鉄道展示室もあります。

ひかりプラザの裏手には、鉄道総研の「盛土試験場」が。ここで盛土や橋梁の試験を行っているようです。

再びひかりプラザの方に戻ります。かつての構内線は環状線になっており、このひかりプラザの裏手を通って鉄道総研JR光町アパートの前を経て施設内に戻るルートでした。そのため建物の構造がこのように斜めになっているところがあります。

歩いて国立駅に戻りました。ちなみに国立駅の駅名の由来は「国分寺」と「立川」の間にあるからだそうで、当時の地名は谷保村でしたが、その後駅名からとって市の名称を国立市としたそうです。

現在私たちが享受している安全で高速な鉄道の技術はここから生まれました。そうした日本の鉄道の歴史に思いを馳せながらめぐりました。都内で気軽に歩ける廃線跡としてもおすすめです。

近隣の国分寺駅からかつて伸びていた国鉄下河原線の廃線跡とあわせてどうぞ。

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