赤羽駅の北側には、かつての軍事施設と東北本線とを結ぶ専用線が走っており、現在でもその跡地が緑道公園として整備されています。実際に歩いてみました。
赤羽駅西口を出て北に少し歩くと、左手に細長い空き地が見えてきます。「赤羽台坂下」バス停の付近です。
空き地に沿って西に進みます。
すると、西に向かって伸びる緑道公園が始まります。この空き地も公園も、かつて兵器輸送を担った廃線跡です。
戦前、赤羽台一帯は陸軍被服本廠(軍服などを取り扱う)や東京陸軍兵器補給廠(兵器を作る)が広がり、「軍都」と呼ばれるほどでした。その軍事輸送を目的に整備されたのがこの東京陸軍兵器補給廠線です。
公園内に過去の歴史を解説するものはありませんでしたが、鉄道跡地であることはそのモチーフから随所に伺えます。線路を模した散策路は過去の線路の位置を完全になぞっているわけではないと思いますが、おおよそこのように走っていたことがわかります。
赤羽並木通りの手前にはちょっとした憩いのスペースが。被服庫はこの南側(画面左側)に広がっていました。現在では東洋大学赤羽台キャンパスや赤羽台けやき公園などになっています。
こちらには鉄道の車輪を模したモチーフが。
この橋は、赤羽並木線を渡るための歩道で、公園を整備する際に後から設置されたものと思われます。
石積みとレンガのモチーフでこちらも鉄道を想起させます。
鉄道橋のようなイメージ。
この緑道の向かって左手にはかつて火薬庫があり、現在は都営桐ヶ丘団地になりました。
緑道公園はこの先も赤羽自然観察公園まで続いています。地図を見るとなんとなくわかりますが、線路自体はその先の国立西が丘サッカー場のあたりまで続いていたようです。このあたりが兵器庫。
時間の関係で私は来た道を戻ることに。
戦後、一帯は占領軍に接収され、米軍用地に。返還後は陸上自衛隊十条駐屯地の一部となりました。このころまで鉄道はあったとか。現在は団地や学校、公園、国の施設などに変わっています。
では東北本線との合流部分を見てみましょう。公園からJR線までの土地はほとんどが遊休地になっていますが、一軒だけビルが建っています。
その先も廃線跡をたどることができます。
東北新幹線と埼京線の高架下に赤羽八幡神社の入り口がありますが、この参道が(おそらく参道の横のフェンスの中)が廃線跡だそうです。
この緩やかにカーブする道がいかにも廃線跡ですね。線路は東京方面ではなく大宮方面に繋がっていたようです。
赤羽八幡神社は東北線と新幹線・埼京線の分かれる間に建っており、境内から鉄道を眺めることができます。
気軽に廃線跡を歩けるスポットで、その歴史に思いを馳せることができました。赤羽駅から徒歩10分もかからない場所なのでぜひ行ってみてください。
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