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「西武大宮線」の廃線跡を西武バスでたどる【川越~大宮間】

バス
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かつて、川越から大宮までを旧西武鉄道の大宮線が走っていました。1906年に路面電車として開業し、川越の川越久保町駅から入間川、荒川を渡り、大宮駅へと至る路線でした。川越久保町~大宮間を約45分で結んでいました。全線が単線で、埼玉県内で最初の電化路線でした。

脱線事故が頻発したり、1940年に省線川越線(JR川越線)が開業してシェアを奪われたりし、1941年に廃線となり、バスに転換されました。

大宮線の構造物はほとんど残っていないようですが、多くが併用軌道であったため、特に大宮から荒川までは道路がそのまま残っています。大宮駅西口のロータリーを出るとほぼ現在の県道2号線「さいたま春日部線」に沿って進み、JR川越線と交差するあたりまで辿れます。その先の荒川の河川敷付近ではのちに河川の改修工事があり、大幅に地形が変わったりしたため現在では面影を追うことは困難です。

荒川の西側は、現在の日本ガスのある辺りを通り、川越市古谷上の市道を進んで、現在の国道16号線沿いに合流し、最後は現在の県道15号とほぼ同じ場所を進んで川越久保町に到着します。川越久保町駅は現在では北側が東京電力川越支社、南側が市立中央公民館となっています。

そんな西武大宮線を西武バスが現在でも引き継いでおり、系統は分かれているものの、乗り継ぐことで辿ることができます。なお、バス停名も大宮線時代のものをいくつか引き継いでいます。大宮駅からかつての西武大宮線に思いを馳せながら川越久保町駅跡まで西武バスに乗車してみました。

西武バス「大22」系統

まず乗車するのは西武バス「大22」系統(大宮駅西口~川越グリンパーク)の全区間。西武バス「大22」は前述の県道2号線を西武大宮線がたどった通りに進み、JR川越線と交差した先で左折、荒川を渡ります。荒川を渡って川越市古谷に入り、終点の川越グリーンパークに向かいます。

もともとは西武大宮線の代替路線として大宮駅〜本川越駅間を運行していましたが、川越グリーンパーク止まりになりました。

川越グリーンパークからは西武バス「本52」系統(川越グリーンパーク~本川越駅)を、「仙波下」まで乗車します。その後は徒歩で川越久保町まで向かいます。こちらは廃線跡を通るわけではありませんが、このエリアから川越市街地を結ぶ西武の路線バスとして後継的な位置付けにあると言えるでしょう。

早速大宮駅の西口にやってきました。

西武大宮線はこのロータリーに大宮駅を設けていました。当時は西口側は田園地帯で、省線の大宮駅は西口には改札もなく、乗り換え改札のみ設けられたそうです。

まずはロータリーを北に抜けて現在の県道2号線に合流します。この道は当時は大宮線の専用軌道でした。

私は西口ロータリーに戻って西武バスに乗ります。「大22」ののりばは4番のりば。西口には多くの西武バスが発着しています。中には所沢駅まで行く路線もあり、現在の西武バスの最長路線となっているそうです。

西遊馬(にしあすま、と読む)までの便は多くありますが、川越グリーンパーク行きは約1時間に1本。乗車時は行列ができ、しばらく座れませんでした。

2号線を順調に進み、西武バス大宮営業所を過ぎます。鴨川を渡ると、「五味貝戸」バス停に着きます。この付近には大宮線の五味貝戸駅がありました。この先、「西遊馬」、「高木」と、大宮線の駅名と同じバス停を通っていきます。

五味貝戸バス停
西遊馬バス停

JR川越線と立体交差します。西武大宮線は1940年12月には運休していますが、省線川越線の開業は同年の7月なので、4ヶ月強は被っており、大宮線の上を川越線が通る風景が見られたものと思われます。

川越線の下をくぐると山田うどん指扇店があります。西武大宮線の「高木駅」はこの山田うどんがある辺りにあり、そのまま左折して荒川を渡っていました。

昔「高木駅」があったあたりにある山田うどん

バスはその少し先の「高木」バス停に停まります。

高木バス停

西大宮バイパスに入り、バスも荒川を渡ります。河川敷にはゴルフコースが。

終点の川越グリーンパークに到着です。ちなみに大宮線ではこの付近に「芝地駅」を設置していました。なんとなくニュアンスの似た駅名ですね。川越グリーンパークは大型の団地です。1980年代に建てられました。

ここからは西武バス「本52」系統に乗ります。

すぐの接続で出発です。しばし田園風景が広がります。

川越の市街地に入り、「仙波下」バス停で下車。歩いて終点に向かいます。城下町の美しい面影が随所に残っています。

川越久保町駅があった付近に到着しました。

跡地は川越市の公民館と東京電力の敷地となっており、敷地内に案内板が建てられています。

電車の写真は薄れて見えませんが、図はくっきりと見えました。ループ状の構造で、1面1線の旅客ホームに貨物ホームもあり、ループ線の中に車庫があったようですね。夜間は全ての電車を川越久保町駅に戻していたようです。引き込み線は東京電灯の敷地内に繋がっていたのでしょうか。

省線川越線が建設されるまでは、川越から東京駅まで、川越鉄道で国分寺まわりで行くより大宮線で大宮にでて上野経由で向かった方が少し早く着いたとか。

かつての路線跡を忍ぶショートトリップでした。ぜひ乗ってみてください。

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