東京都中央区銀座の銀座郵便局ちかくに、踏切のモニュメントがあります。これは、かつて存在した東海道貨物線の支線である東京市場線の踏切が残されたものです。「浜離宮前踏切」といいます。
かつて東京の貨物の拠点であった汐留貨物駅から、およそ1km先の築地市場(東京市場駅)まで、この市場線は伸びていました。東京市場線は1935年の築地市場の開場日に開業し、1985年に廃止になっています。水産物や青果物などの生鮮品を築地市場に卸すため、全国から貨物列車がやってきました。モータリゼーションの到来とともにトラック輸送に切り替わると、東京市場線はその役割を終えます。
説明書きによると、最盛期には一日およそ150両もの貨車が通過したそうです。
トラック輸送に対抗すべく、国鉄は高速運転対応の冷蔵車による特急鮮魚貨物列車なども登場させました。有名なのは、九州発の特急鮮魚貨物列車「とびうお号」。夜に長崎を発車して、博多、下関などを経由、翌々日の深夜1時に東京市場駅に到着し、朝5時の競りに間に合わせるという列車で、トラックよりも速く輸送しました。競りに間に合わなければ大きな損害が出るため、旅客列車に優先して運行されることもあったそうです。
そんな、日本の台所たる築地市場を支えた路線を後世に伝えるべく、銀座の有志の方々が保存活動をなさり、ここに踏切が残されたとのことでした。この踏切は現存する銀座で唯一の踏切だそうです。
踏切越しに汐留のビル群を眺めてみました。汐留は日本に最初に鉄道がやってきたときの起点である新橋駅であり、東京駅に中央駅の役割を譲った後は貨物のターミナル駅として、日本の物流を支えてきました。それほど前のことではないにもかかわらず、現在汐留には貨物ターミナルであった歴史を示すものはおそらくなく、この踏切が唯一の歴史の証人となっています。
この踏切は目の前を走る都道316号線の踏切でした。東京市場線は汐留貨物駅を出て都道316号線を渡り、銀座郵便局の脇を抜けて築地市場へと至りました。
廃線跡を辿ってみましょう。かつて線路があった場所はそのまま道路になっています。
いかにも線路跡らしく緩やかにカーブして橋にさしかかります。橋を渡ると朝日新聞東京本社の脇を抜けます。
橋の名前は新尾張橋といいます。かつて尾張徳川家の下屋敷があったことに由来するそうです。橋の下には首都高速都心環状線が走っています。かつては築地川が流れていました。
朝日新聞の社屋を抜けると新大橋通りに出ます。
築地市場の跡地を眺めます。現在は更地になっています。東京市場線は築地市場にまっすぐ乗り入れ、貨物列車は市場の外周に沿うようにして停車しました。貨車からおろしてそのまま競りが行える構造になっていたそうです。
汐留貨物駅も築地市場もいまや見る影もありませんが、その歴史は都会に一本そびえたつ踏切が教えてくれます。鮮魚列車は時代のニーズに合わず廃止されましたが、いま改めて見直されているところです。浜離宮の散策や汐留へのお出かけの折にぜひ見にいってみてください。
また、東京市場線と同じく東海道貨物線の一部である大汐線(浜松町~東京貨物ターミナル)は、今後新たに、羽田空港アクセス線として生まれ変わります。その現在の姿を見にいった記録はこちら。