首都圏に生活していて、鉄道の駅名に「宮崎台」や「上福岡」など、九州の県名を発見したことはありませんか?
今回は、首都圏の地名に九州7県(福岡県、佐賀県、長崎県、熊本県、大分県、鹿児島県、宮崎県)の県名を探しに行きました!
まずは駅名で有名な「上福岡駅」から「福岡」の地名を探しにいきます。
「福岡」
首都圏での「福岡」の地名は、東武東上線の上福岡駅の近くにあります。上福岡駅は普通列車のほかに、準急も停まる駅です。上福岡駅にやってきました。
上福岡駅は埼玉県ふじみ野市上福岡にあります。すでに「福岡」が含まれていますが、上福岡駅の北側には埼玉県ふじみ野市福岡1~3丁目と埼玉県ふじみ野市福岡があります。もともとは上福岡市という自治体で、2005年に大井町と合併してふじみ野市になりました。そんな上福岡市も市制に移行する前は埼玉県入間郡福岡町であり、福岡県福岡市との重複を避けるために駅名からとって上福岡市としました。
北口の通りから市役所通りに入り、しばらく歩くと、ふじみ野市役所があります。ここが、ふじみ野市福岡1丁目です。ふじみ野市の中心であり、かつての上福岡市の中心でもあります。また、福岡2丁目には「イオンタウンふじみ野」が。
また、福岡の地名が含まれる施設として、「福岡中央公園」や「ふじみ野市立福岡小学校」、「ふじみ野市立福岡中学校」などがあります。
ではせっかくなので、もう一つのふじみ野市福岡を見にいきましょう。ふじみ野市福岡は新河岸川と旧新河岸川に挟まれた土地です。江戸と川越とを結ぶ舟運が活発だった新河岸川に面している福岡一帯は、かつて河岸場が置かれ、回漕問屋が栄えました。ふじみ野市福岡の方はそんな歴史が感じられる地区です。
歩いていてわかったのですが、現在の福岡地区は地名ではないものの、通称として「下福岡」と呼ばれているようです。「下福岡」の名がバス停名や集会所の名前、店名(「ENEOS下福岡店」など)に見られます。
新河岸川に架かる橋も「福岡橋」。
ちなみに「中福岡」の地名もあり、現在でも残っています。当然ながら、上福岡と下福岡の中間にあります。「ローソンふじみ野中福岡店」など、店名にもなっています。
地名の由来ですが、福岡の名は中世以来の郷村名に由来するそうです。江戸時代には福岡村、中福岡村、福岡新田とあり、それぞれが福岡、中福岡、福岡新田として現在でも地名に残っています。一方、上福岡は、明治以降に近隣5村が合併して福岡村になった後、東武東上線の駅を設置する際に、すでに福岡駅が九州にあったため、「武蔵福岡駅」などの候補とともに選ばれたのが「上福岡駅」であったということです。まず福岡村に上福岡駅があり、その後、駅一帯が上福岡となったと考えられます。なお、「上」とは、かつての地名の付け方の「上・下」(より京都に近いほうが上)の考え方で採用されたものと推測されます。
「長崎」
続いては、首都圏の長崎を見にいきましょう。長崎といえば、こちらも鉄道の駅に「東長崎駅」や「落合南長崎駅」を聞いたことがあると思います。「東長崎駅」は西武池袋線の駅、そして「落合南長崎駅」は都営大江戸線の駅です。
これらの駅名は、東京都豊島区長崎、そして東京都豊島区南長崎からとられています。東長崎という地名はありません。なお、「落合南長崎駅」は南長崎と隣接する新宿区西落合の間にあり、住所は西落合の方にあります。
西武池袋線で東長崎駅にやってきました。東長崎駅は各駅停車のみが停車する駅です。東長崎駅の地名は豊島区長崎5丁目。
豊島区長崎は1~6丁目まであり、西武池袋線の東長崎駅から椎名町駅までにかけての北側一帯に広がっています。
「セブンイレブン長崎店」などの店名のほか、マンション名などにも長崎が見られます。
また、公共施設として「豊島区立長崎小学校」のほか、「豊島区立長崎公園」も。
今度は椎名町駅に降りてみます。こちらは豊島区長崎1丁目。
駅前に「長崎神社」があります。
地名の由来ですが、鎌倉時代に執権北条氏の御内人であった長崎高重氏の領地だったため、長崎と呼ばれるようになったようです。その後、大正時代に長崎村から長崎町へと改称され、昭和7年の東京市編入により豊島区となりました。
駅名の東長崎駅に関しては、上福岡駅と同様、九州の長崎駅と区別するため東長崎駅とされました。長崎の東側に建設されたことから「東」としたのだろうと推測されます。
さらにもう一つの「長崎」が首都圏にあります。千葉県流山市長崎1~2丁目です。ちなみに「長崎町」だと千葉県銚子市長崎町があります。流山市長崎は流山市の東端部に位置しています。域内に鉄道路線やバス路線はなく、最寄りの駅は柏市内にある東武野田線豊四季駅です。
豊四季駅からは流山市のコミュニティバス「流山ぐりーんバス」の松ヶ丘・野々下ルートに乗り、「長崎小学校入口」というバス停で降りると、「流山市立長崎小学校」があります。ただ長崎小学校は長崎ではなく野々下にあります。長崎はそこからすぐ。駅から歩いても行けます。
域内には「長崎 子どもの遊び場」や、アパートの「Amour長崎」といった長崎を冠したものが見られます。
地名の由来ですが、崩れやすい丘陵の先端を意味する「薙先(なぎさき)」からきているとか、山の出っ張ったところを意味する「崎」からきているとか言われているそうです。昔から人家があり、明治6年までは長崎村という村でした。そもそも流山とは「ながるやま」、洪水でできた山を意味するそうで、長崎はその先端部にあたります。実際に野々下の長崎小学校から長崎地区までは、かなりの坂を上ることになります。
「佐賀」
次に、佐賀を見にいきます。佐賀という地名は東京都江東区にあります。東京都江東区佐賀1~2丁目です。
近隣に駅はないため、バスで向かいます。東京駅丸の内北口か、錦糸町駅前から都営バス「東22系統」のバスに乗り、「佐賀一丁目バス停」で下車すると、そこは江東区佐賀です。
江東区佐賀は隅田川を永代橋、隅田川大橋を渡ってすぐの、隅田川河畔に面した地区です。
江東区佐賀は近くに鉄道の駅はありませんが、門前仲町や清澄白河、日本橋に近い人気のエリアです。
「セブンイレブン江東佐賀1丁目店」など、店名に佐賀を冠すものも。
佐賀は住宅が多く、マンション名に佐賀を冠したものは多く見受けられます。ただ、大型のマンションなどはネームバリューのためか近隣の門前仲町や水天宮を冠するものも結構ありました。
隅田川沿いは「隅田川テラス」として遊歩道になっており、多くの人が散策していました。
地名の由来ですが、なんと九州の佐賀県に関係があります。元禄8年に検地があり、その際にこのあたりの地形が九州の佐賀の湊に似ていたことから「深川佐賀町」と名付けられました。明治11年に深川区が成立すると、深川区深川佐賀町となります。その後、深川区佐賀町、江東区深川佐賀町となり、昭和44年に現在の江東区佐賀1~2丁目が誕生しました。
それまで猟師(漁師の意)町だった佐賀地区は、寛永16年の江戸大火により、材木置き場として重要な場所となりました。その後、元禄11年に永代橋が架けられて日本橋・京橋エリアが近くなると、隅田川沿いに蔵が建ち並ぶようになりました。当時の隅田川の河口付近にあたるこのエリアは、関東の舟運の最終地点でもあり、物流拠点として栄えたそうです。現在ではマンションが多く建てられ、閑静な住宅街になっています。
「宮崎」
続いて「宮崎」を探しにいきましょう。東急田園都市線に「宮崎台駅」という駅があるのを聞いたことがありますでしょうか。
宮崎台駅の地名は神奈川県川崎市宮前区宮崎。神奈川県川崎市宮前区宮崎と、神奈川県川崎市宮前区宮崎1~6丁目があります。
東急田園都市線で宮崎台駅にやってきました。
宮崎地区は広く、宮崎を冠したものとして「川崎市立宮崎小学校」や「宮崎第一公園」などがあります。
こちらの「ファミリーマート宮崎一丁目店」のように、店名にも宮崎を冠するものは多くあります。
宮崎第一公園には「宮崎こども文化センター」も。
地名の由来ですが、この地域にもともと宮崎という地名があったわけではありません。明治22年にこの地区の村が合併して「宮前(みやさき)村」ができました。宮前とは、馬絹神社の前であることから名づけられました。昭和13年に宮前村が川崎市に吸収されると、宮前の名は消滅します。当時村にあった「尋常高等宮前小学校」も、すでに川崎市内にあった「尋常川崎宮前小学校」と紛らわしいため、「川崎市宮崎尋常高等小学校」へ改称されました。この地域は太平洋戦争中は接収を受け、戦後の農地解放時に新地域として成立する際に、宮前村があったことにちなみ、表記は「宮崎小学校」からとって「宮崎」という名が付けられました。
その後、1966年になって東急田園都市線が開通し、宮崎台駅が開業します。開業後は急速に宅地化し、一帯は現在のような住宅街となりました。なお、田園都市線の開通前の駅名の仮称は「宮崎」でしたが、その後「宮崎台」に改められました。定かではありませんが、九州の宮崎との被りを避けたものと思われます。
「熊本」
残念ながら首都圏に熊本の地名は見つけられませんでしたが、全国に広げると、福岡と北海道にありました。
一つは、福岡県北九州市小倉北区熊本1~4丁目です。最寄り駅は日田彦山線城野駅、北九州モノレール片野駅。
マンション名には熊本の名が見られます。店舗名としては熊本県の熊本と区別するため「小倉熊本店」となっているようです。「ジョイフル小倉熊本店」「ファミリーマート小倉熊本店」などが見られます。市道熊本足原1号線が東西に通っています。熊本の地名の由来はわからなかったので、ご存知の方は教えてください。
もう一つは、北海道夕張郡由仁町熊本です。域内に室蘭本線の古山駅があります。
由仁町熊本には、「清正公熊本神社」があります。この神社は熊本県熊本市の本妙寺から、加藤清正公を分霊して祀ったものです。この地域は明治時代に熊本県から多くの人が移住し、開拓した地域で、地名にもなっています。「清正公熊本神社」の鳥居には「熊本神社」と掲げられているそうです。また、隣には「熊本生活館」という施設もあるようです。
「大分」
大分の地名も残念ながら首都圏には見つけられませんでしたが、福岡県にはありました。
福岡県飯塚市大分です。ただしこちらは「だいぶ」と読みます。もともと大分村という村で、1955年に分割されてそれぞれ筑穂町と穂波村の一部になりました。その後2006年に飯塚市となりました。
域内には福北ゆたか線の筑前大分駅があります。また、大分八幡宮や、飯塚市立大分小学校などもあります。
地名の由来ですが、大分八幡宮のHPによると、神功皇后が「三韓征伐」後にこの地で軍隊を解散させたので「大分かれ」から「大分(だいぶ)」と呼ばれるようになったと記載されています。
「鹿児島」
残念ながら、鹿児島の地名は首都圏にも、鹿児島県を除いた日本全国にも、見つけることはできませんでした。ご存知の方は教えてください。
このように地名には意外なものが多くあります。ぜひ首都圏の中の九州をめぐったり、ほかのテーマを見つけて調べてみてください。