流鉄流山線に全区間乗車しました。
流鉄流山線とは、千葉県松戸市の常磐線・馬橋駅から、千葉県流山市の流山駅までを結ぶ路線です。全線が単線で、5.6キロメートルの短い路線です。ワンマン運転をしています。途中駅は4駅です。
常磐線各駅停車の馬橋駅にやってきました。流山線の乗り場は西口側にあります。ちょうど電車が流山に向けて出発していくところでした。
流山線のホームへは、駅の連絡通路から入ります。
流山線ではICカードは使えないため、切符を購入します。自動券売機が2台設置されていました。駅窓口もあり、駅員さんがいらっしゃいます。定期券やグッズなどが購入できます。
終点の流山駅まで200円です。沿線には歴史的な見どころも多く、何度も乗り降りするなら「流鉄流山線一日フリー乗車券」(大人500円、子ども250円)が便利です。
流山線は日中は20分間隔で運行されています。
ホームは1面2線の構造で、通常は1番線を使用します。歴史ある木造の駅舎です。奥に待合室があります。
昔ながらの改札口がありました。流山線では入場の改札はないため素通りします。降りるときに駅員さんに切符を渡して出場します。
流山線の歴史は古く、開業は100年以上前の1916年。常磐線(当時は国鉄常磐線)を利用する流山の住民の足として、流山の商工人によって開業しました。当初は軽便鉄道として敷設され、のちに改軌されています。第一次大戦で需要が増え、また付近に陸軍糧秣本廠流山出張所が建設されたことにより、軍用鉄道としての性格も帯びるようになりました。戦後は電化され、流山の宅地化とともに通勤路線として歩み始めます。
しかし、国鉄武蔵野線の開業や、近年のつくばエクスプレスの開業によって乗客を奪われることに。特につくばエクスプレスの開業の打撃は大きく、流山駅の1日の利用者は約半減したとか。ただ、モータリゼーション到来前の地方の足を担った軽便鉄道の多くが廃線となった中で、流鉄は大手による買収等もなく現代に至るまで生き続けています。
また、流山は醸造業で栄えた町であるため、流山線はトラック輸送に代替されるまで、酒造工場への引き込み線が引かれ、原料の輸送などを行っていました。貨物輸送は1977年まで続きます。
列車がやってきました。駅名標がなんとも趣深いです。
車両は全て西武鉄道からの譲渡車で、元新101系を2両編成に改造した5000形。5編成が在籍し、それぞれカラーリングが異なります。また、各編成に愛称がつけられています。側面には流山線の「N」のラインが描かれています。
私が乗車するのはえんじ色のボディの「あかぎ」号です。流山はかつて赤城山の一部が「流」れてきた「山」だと伝承されています。ヘッドマークには、現在沿線で実施されているリアル宝探し「彩り電車と思い出の宝探し~あかぎとさくらの6日間~」のものが掲げられていました。普段は「あかぎ」と掲げられているはずです。
ちなみに流鉄5000形のもとである新101系は、西武線内では多摩川線などで運行されていますが、徐々に「サステナ車両」(東急9000系)に置き換わる予定です。他に近隣では伊豆箱根鉄道で見られます。
乗車位置案内にも各カラーリングの電車が描かれていました。流鉄5000形は3ドアです。
少し待合室にもお邪魔しました。暖房が入っており快適です。流鉄にはキャラクターがおり、「りゅうのしん」というそうです。「なの花」号のヘッドマークをつけていますね。
また、流山線では2024年4月1日より、運賃が値上げされるそうです。馬橋〜流山間は現行の200円から220円になります。
早速乗り込みましょう。車内は西武線時代と変わらぬ風景。ただ、先代の3000形が3用編成だったのに対し、5000形はつくばエクスプレス開業による合理化の一環で2両編成になりました。
古き良き「ジリジリジリジリ」と鳴るタイプの発車ベルが鳴り響き、出発です。小金城趾駅までは新坂川沿いを進みます。ちょうど脇をE657系の特急が通過していきました。
馬橋駅を出ると、武蔵野線の支線(馬橋支線)と交差します。武蔵野線から常磐線の上り線に入る支線です。定期の旅客列車はなく、貨物列車が使用しています。
続いて武蔵野線の本線と交差します。新松戸駅が見えました。
一つ目の駅、幸谷駅に到着です。幸谷駅はマンションの一階に併設される形で存在します。連絡運輸は行われていませんが、近くに武蔵野線の新松戸駅があります。現在流山線で最も利用の多い駅だそうです。また、流通経済大学新松戸キャンパスの最寄駅です。
続いて今度は武蔵野線から常磐線の下り線に合流する支線(北小金支線)と交差し、次第に左にカーブしていきます。
流山線沿線はほとんどが宅地化されていますが、一部田畑が残る部分もあります。
小金城址駅手前では畑が広がりました。
流山線で唯一の交換可能駅である小金城趾駅に到着です。ここで電車の行き違いが行われます。あちらはオレンジ色の「流星」号。こうして流山線は日中は2編成で運用しています。
小金城趾を出ると、坂川を渡ります。先ほどまで隣を流れていた新坂川は坂川の支流です。坂川はかつては「逆川」といい、たびたび氾濫を起こす川でした。現在では毎年ゴールデンウイークにたくさんの鯉のぼりが上げられるそうです。
坂川を渡ると鰭ヶ崎駅に入ります。流山線開業当時もこの辺りは住宅地であったそうです。また、東洋学園大学流山キャンパスの最寄駅です。鰭ヶ崎駅から流山市に入ります。
鰭ヶ崎を出ると、つくばエクスプレスと地下で交差します。つくばエクスプレスのこのあたりの地上部分は緑道となっています。埼玉県の八潮から江戸川を渡るまで地上を走っていたつくばエクスプレスは、南流山駅手前で地下に入り、流山線と交差して、再び流山セントラルパーク駅手前で地上に出ます。その後は高架線を進みます。
次の平和台駅からは、酒造工場への専用線が2本伸びていました。一つは東邦酒類(現メルシャン)専用線、そしてキッコーマン流山工場に向かう万上線という線路です。
乗客が少なくなったので車端部にきてみました。古めかしい計器が大切に使われています。この「あかぎ」号こと5003編成が流鉄にやってきたのは2012年。しかし西武鉄道でデビューしたのは1982年で、すでに44年ほど活躍しています。
車両は西武所沢工場で製造されました。この「あかぎ」号は西武線では277Fとして池袋線系統で活躍していました。もともと2両編成で、他の編成と連結して走りました。
平和台駅を出るとすぐに終点の流山駅に到着です。流山線の最高速度は55キロ。6キロ弱の道のりを13分で走りました。
流山駅の構造は1面2線。この電車が停まってる場所の奥には検車区があり、その他の車両が留置されています。
切符を駅員さんに渡して駅を出ます。流山駅の駅舎は開業当時の1916年のもの。美しい木造駅舎です。
「関東の駅百選」のほか、「房総の魅力500選」に選ばれています。
流山駅は流山市の中心部に位置しており、駅前には流山市役所があります。中心部のすぐ西側を江戸川が流れており、流山線開業以前の流山では旅客、貨物ともに舟運が盛んでした。
なお、流山線は流山より先の野田市方面、そして馬橋より先の市川方面に延伸計画がありましたが、いずれも潰えています。
最後に駅東側の歩道橋を渡って駅全体を眺めました。奥にあと3編成も見えます。
列車はこのあと再び馬橋に向けて出発しました。
私はそのあと流山市立博物館に行きました。
昭和の趣を存分に残しながら元気に走る楽しい鉄道です。千葉県にはいくつかそういった鉄道がある中で、東京からすぐの立地も魅力です。元西武の新101系がコトコト走ります。ぜひ乗りに行ってください。
遠方の方はこちらでグッズを買ってみるのもいいかもしれません。