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「東急目蒲線」に乗る【目黒線+多摩川線】

鉄道
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かつて、東急目黒線と東急多摩川線は「東急目蒲線」という一つの路線として営業していました。

東急目黒線は現在、目黒から日吉までを結び、地下鉄線と直通運転しており、東急多摩川線は多摩川から蒲田までを結んでいますが、2000年以前までは一本の路線でした。東急目蒲線と呼ばれ、その歴史は古く、東急の母体となった路線です。

そんな目蒲線は、2000年の東京メトロ南北線、都営三田線、埼玉高速鉄道線との直通運転を機に、目黒線として多摩川駅で系統を分断し、東急東横線の日吉駅まで直通します。一方多摩川線は多摩川から蒲田までの折り返し運転をするようになりました。

東急の目黒駅にやってきました。

現在は青のカラーの目黒線と、紫のカラーの多摩川線が1本の路線でした。目黒線の正式な区間は目黒から田園調布までで、そこから先は東横線の複々線区間に乗り入れるという形です。

目黒から反対側は東京メトロ南北線+埼玉高速鉄道線と、都営三田線に直通運転しています。別の会社ですが、目黒から白金高輪までは同じ線路を使います。目黒線内は急行が設定され、停車駅も絞られています。

2023年3月の相鉄線との直通運転開始で、目黒線は日吉から東急新横浜線に乗り入れ、そのうち三田線からの直通列車は相鉄線内にも入ります。遠くは埼玉の浦和美園から新横浜まで、そして板橋区の西高島平から相鉄線沿線まで1本で繋がるという、東横線や田園都市線で行われているような相互乗り入れの長距離列車が目黒線にも誕生するわけです。

これにより、東横線、目黒線、副都心線、南北線、三田線沿線などから東海道新幹線に乗る際、新横浜駅での乗り継ぎが非常に便利になります。

そんな新たな進化を遂げるこの古い路線の歴史を振り返ってみましょう。乗車するのはちょうどやってきた急行日吉行き。埼玉高速鉄道線の車両です。

目黒線は連続立体交差事業やホームドアの整備が進み、ワンマン化されています。急行は目黒を出ると、武蔵小山、大岡山、田園調布、多摩川と停まります。多摩川までは約10分。地上に出るとすぐに高架に。

そして再び地下にと、アップダウンを繰り返して進みます。

多摩川駅に到着しました。東横線に乗り入れる形で高架ホームに入ります。左側が東横線のホームです。田園調布から東横線と合流し複々線になりますが、田園調布を出てすぐに地上に下りていく線路があります。その線路が多摩川線とつながっています。

かつて近くに多摩川園という遊園地があり、駅名も「多摩川園駅」でした。内側が目黒線、外側が東横線です。

多摩川線は地下ホームに発着しています。東急が3路線も乗り入れている乗換駅はここだけ。

地下の多摩川線ホームから、田園調布方を見ると、線路がそのまま地上に繋がっていることがわかります。連絡線として使われています。

系統の分断後、多摩川線となった多摩川~蒲田間は、全列車各駅停車のピストン運行となっています。やってきた7000系に乗車します。多摩川線の車両は池上線と共通で、3両編成。蒲田まで10分で到着します。

多摩川を出るとすぐに地上に出て多摩川沿いを緩やかに進みます。近代化された目黒線とは打って変わって、古き良き東急の路線風景が広がります。中間駅のすべてが2面2線の地上駅で、跨線橋もなく、昔ながらの地方私鉄の雰囲気です。そこに高頻度で列車がやってきます。

途中の主要駅、下丸子駅で降りてみました。かつては構内踏切があり上下線を行き来できたそうです。

かつては4両編成が走っていたため、ホームの端に使われていない部分が残っています。

なお、多摩川線は他の路線と違い、正式名称が「東急多摩川線」です。ホームページにも多摩川線だけ東急がつけられています。これは主に、西武多摩川線が存在するために混同を防ぐ目的だと思います。

東急電鉄のホームページより

続いてやってきた1000系に乗車します。

蒲田駅に到着しました。蒲田はかつての東急の渋谷駅のような頭端式の美しいターミナル駅です。

左側が多摩川線、右側が池上線のホームです。どちらもひっきりなしに出ていきます。

そんな古き良き多摩川線、そして蒲田駅ですが、こちらも延伸計画があります。蒲田駅と京急蒲田駅を結び、羽田空港方面に直通する「蒲蒲線(新空港線)」です。

これは、蒲田駅の手前の矢口渡駅から地下に入り、地下の蒲田駅、地下の京急蒲田駅を経て、京急空港線大鳥居駅に繋がる路線です。問題は東急が狭軌、京急が標準軌と線路幅が違うことで、計画ではフリーゲージトレインが使われることになっています。

さらに実現性が低い計画としては、その蒲蒲線を使った「エイトライナー」という計画の一部に多摩川線も組み込まれています。

歴史的な経緯から現在に至るまで絶え間なく進化し続ける東急線ですが、東急新横浜線開業、相鉄線直通というさらなる進化を遂げるかつての目蒲線の足跡を振り返ることができました。ぜひ乗り通してみてください。

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