中央区晴海と江東区豊洲を結ぶ旧晴海橋梁(旧晴海鉄道橋)が新たに遊歩道になり、供用開始しました。
この鉄道橋はもともと1957年に貨物線である港湾局専用線の橋梁として建設され、1989年まで使われていました。貨物列車廃止後も鉄道橋はそのままの姿で残されていましたが、今回東京都により「春海橋公園遊歩道」として遊歩道化された形です。
東京都によると、橋梁の歴史的価値を残すため、同時のレールを配置し、アーチ部の色彩を建設当時の色彩に復元するなどしています。また、ライトアップも実施するそうです。

早速見に行きました。
春海橋公園遊歩道は、豊洲駅から徒歩12分ほど。都営バスの「春海橋」バス停下車すぐです。

バスを降りたらすぐ。入口も綺麗に整備されています。

春海橋公園とは豊洲の運河沿いに伸びる海上公園で、東京都港湾局が所管しています。今回供用された廃線跡の遊歩道は、その春海橋公園の一部という位置付けです。

入り口には旧晴海橋梁の歴史と意義が詳しく書かれています。

かつてはこのイラストのように、貨物列車が行き交いました。

旧晴海橋梁を使用していた東京都港湾局専用線の最盛期の路線図も載っていました。

専用線の歴史は戦前に遡ります。まずは左側に描かれている芝浦線が敷かれました。これはそれまで横浜が担っていた海上輸送を東京にも、ということで整備された芝浦ふ頭への貨物線で、東海道線の一部として運用されました。荷物はまず汐留貨物駅に集められ、芝浦線を用いて船に積まれました。
続いて戦後になってから生まれたのが深川線です。右手に描かれている越中島駅は、京葉線の越中島駅ではなく、現在越中島貨物駅と呼ばれる貨物ターミナルです。これは総武線の亀戸駅から単線非電化で伸びているもので、まずは戦前に小名木川駅までつくられました。こちらももともとは水運を意図したものでした。
戦後に入ると豊洲ふ頭が整備され、東京都によって越中島駅(貨物駅)と深川線が建設されました。運行は国鉄が担いました。経済発展に伴って専用線を使いたい会社も増え、豊洲物揚場線や晴海線などが広がっていきました。
首都圏では、旅客列車が増えるに伴い、邪魔になる貨物列車を主要な駅や路線を避けて運行しようという計画がなされます。東京外環状線と呼ばれたこの計画で武蔵野線が誕生し、この臨海部にも、川崎貨物駅~東京貨物ターミナル駅~芝浦~越中島~新木場~蘇我~木更津という貨物線がつくられることになりました。
しかし、モータリゼーションの到来によって、貨物輸送はトラックが中心になっていきます。あわせて旅客列車の需要は首都圏では増え続ける一方でした。結局蘇我から新木場までの貨物線は、東京駅まであらたに路線を建設して国鉄京葉線として開業し、新木場から先は大井町駅に繋いでりんかい線として営業することになりました。
たくさんあった港湾局専用線は次々と廃止になり、最後まで残った晴海線も1989年2月10日についに廃止となりました。あたり一帯は再開発され、この橋梁のみが残されてその歴史を伝えていたのです。

専用線の歴史は東京の海上輸送の歴史と言えます。
この橋梁を使ってセメントや食糧、紙などが運ばれ、人々の暮らしや都市の発展を支えました。

それほど東京にとって重要だったこの専用線の歴史を後世に残すべく、レールが配置されています。4本あるのが面白いですね。これは専用線が使われていたころから4本敷かれていました。外側が本線軌条(メインのレール)で、内側のレールが脱線防止用の護輪軌条です。それをありのままの様子で整備してくれています。
ところどころ床がガラスになっており、ガラス越しにかつての枕木も配置してくれています。

レールは古びており、当時のものであることが伺えます。床はウッドデッキになっていますが、これは枕木を意識しているそうです。レールとともに、鉄道橋であったことをしっかりと伝えてくれています。

アーチは建設当時の色に塗りなおされています。それまでは赤茶けた色をしていました。この橋梁は、鋼ローゼ桁橋(アーチのところ)と、連続PC橋(その両脇)からなる鉄道橋で、日本で初めて導入されたものなのだそうです。

2000年までは豊洲運河にも同様の橋梁が架かっていましたが、残念ながら撤去されています。
海からの潮風が心地よく、近隣の多くの人が時々立ち止まりながら散策していました。

塗りたてでピカピカです。

1957年の竣工で、石川島重工業が製作したそうです。

照明も。

ところどころのガラス張りが素敵ですね。

晴海側にわたると、今度はこの橋を渡った車両たちの紹介がありました。この重要な鉄道遺産を一般に広く伝え、遺していこうとの意気込みに感銘を受けます。

その裏には、専用線で使われた機関車に取り付けられていた紋章と形式番号のレプリカがありました。紋章は東京都の紋章です。都のホームページによると、“紋章の意味は東京の発展を願い、太陽を中心に6方に光が放たれているさまを表し、日本の中心としての東京を象徴しています。”とのこと。

最後に春海橋から眺めました。

臨海部一帯が再開発され、専用線の時代とはまるで違った景色が広がる中で、この旧晴海橋梁は唯一のこされた重要な遺構です。遺されたものの、敗戦後からずっと荒れ果てた状態が続いていましたが、ついにこの歴史的な橋が再び日の目を見て人々の生活の一部に戻ったことを嬉しく思いました。

ぜひお出かけしてみてください。ライトアップも見てみたいですね。
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